【やってはいけない頼み方】
できることなら自分の力で解決しあらゆる問題を解決したいとは思っている。そりゃそうです。ですが自分の力なんてクソしょーもないわけです。
仕事や私生活など全部一人でやろうとするなんて限界があり、その限界もすぐそこ。
本当何もできないんですよ。
なので、周りの人に頼むことが外せなくなります。周りの人がいないとマジで何もできない。
自分が時間的に量的に実力的にできないことは周りの人に頼み助けてもらうしかないし、自分が自分のことができるのも、その間に周りの人が様々なことやってくれているおかげです。
自分の実力なんて大したことないので人に頼まないと前に進まず成し遂げられないということです。
人に頼む際にはどんな頼み方いいのか?を考えるとは、まず『何を言う、何をすべきか』だけなく『何を言うべきでないか、何をすべきでないか』先にダメな頼み方を考えてやらないようにすること。頼られることは別にいいが、頼み方や言い方でやる気が失われることはある。
では、鼻につくダメな頼まみ方は…
共感に頼りすぎる
人と人との距離を縮める上で共感は外すことができない。極端に言えば共感さえできれば人は相手を味方と思い、共感できなければ敵とも思い、時には『あの人は変わっている』『あの人はおかしい』とまで思う。人っておもしろいですね。なので共感は外せないが、過剰な期待はイラつかせいやらしさを与えてしまう。
思いところは同じだが、共感の温度の違いはストレスを生む。過剰に共感に訴えかける頼み方は嫌われる。
とにかく謝る
頼むときにそんなぬ謝るはないということ。
謝る人は謙虚や申し訳ないと思っていることを伝えたいでしょうが、過剰に訴えられると正直ウンザリされます。謝ることではないことを過剰に謝るのは自分の価値を落下になるし、頼まれた方も正直うっとしい。過剰な謝罪は自分を安くし相手のストレスを上げるのでやめましょう。
言い訳をする
プライドや見栄や気まづさや弱みを見せたくないなどから言い訳をしてしまう気持ちはらわかります。が、言い訳は相手からすると、求めてない情報でなかなかの『知らんがなか!』
そんな情報は本当にどうでもよく必要ない。
必要の情報を勝手に提供されるのは迷惑です。
必要のない情報より素直さを相手は求めているもので、素直に打ち明けてくれると相手は自分は信用されているとまで感じてくれて喜んでくれたりもする。
なのでしゅうもない言い訳やめて、素直に頼みましょう。
相手のメリットや楽しさの強調
人することのメリットや楽しさがわかりやすいことほど行動しやすくなる。が過剰に強調してしまうと相手はコントロールされる感をもちます。先回りしていい未来を想像して提供されるのはありがた迷惑で、それは自分が決めることだと考えます。
だからと言って言わない方がいいと言うわではないし、言われないと自分にとってメリットや楽しさが気づきにくかったりもするので、言わわないとはいけない。ただこれも過剰な強調はしてはいけない。
借りがあること利用
人間関係は持ちつ持たれつの関係で成り立っていると思います。例えば自分が今おこなっている作業はどこかで誰かが別作業してくれているからできているのであって、自分ができないことは別の誰がやってくれているもの。
だがらと言って、借りがあることを引き出してお願いするとこれもコントロールされている感じを与えてしまい、嫌悪感を持たれる。
相手で過去の借りは借りで感謝はしてるはず。
だか、都合やタイミングがあまりよくなく、頼み事を引き受けたくても、引き受けられないときもある。
それに貸し借りをしっかり覚えて記録してるかのような人は頼み方以前に付き合っていて気持ちわるい。
助けられた自分にとってのメリットはを強調
相手は喜んでほしいや助けたいと思って助けてくれあのてまら、助けてもらった側は助けた側に気持ちを伝えたくのは当たり前な感情。
だがこれも過剰は禁物。面倒くさくなる。
ダメな頼み方でほぼ共通してるのは過剰です。
頼み方だけではなく、雑談やコミュニケーションでも共通だと思います。普段の過剰な言葉量や感情表現や過剰な行動力はわかりやすいものをわかりにくくする。わかりにくいが募るとストレスになり嫌悪になると言うことです。
頼み事をするということは相手を肯定することです。頼み事されると自己価値にも気づきにもなり、再確認になるので相談や頼み方はする側が思うより相手は喜んでくれるもの。
過剰に気をつけてお互い頼み事をし合える人間関係はいいのではないかと。
そんなことを偉そうに言ってますが、何もできないくせに頼み事は激しく苦手です。
これからもどうぞよろしくお願いしたします。