【助けを求める痛みと思い込み】
自分ひとりでできる事なんてたかが知れている。会社や組織やコミニティで成果を上げるには助け助けられる関係は必要不可欠。
この関係こそがチームワーク
こんなことはみんな感じているはず。
ですが、いざ助けを求める時って頭が痛くなる感覚になりますよね?
その気まづさと向き合う内に考えるのが面倒くさくなり、最終的には助けを求めるのを諦めしまいことがある人も多いはず。
なんで痛く感じるの?それは思い込みなのでは?というお話。
助けを求める際に発生する痛みの原因は5つ
考えられる。
ステータスのから痛み
ステータスは相手と比較した場合の立ち位置。上司部下や先輩後輩や年下年上など。助けを求める際は「上司のくせ」「年下のくせ」のくせにという心理が痛みになっている。
生意気に思われそうとか頼りないとか思われそうなどと思った時に痛みが現れる。
確実性からの痛み
人には未来を予測したいや思った通りにしたいなどの欲求があります。これらに確実性が高い場合はいいが、不確実だとまた痛みになる。
断られたらどうしようと気持ちのことです。
自律性からの痛み
人は自分でコントロールしたい選択したいと思っている。コントロールや選択している実感に人は自信を感じ幸福すら感じる。自分自身の主導権みたい感じ。助けを求めることで、この主導権が奪われると感じると痛みになるります。
主導権が握らせれるという不安が原因ですね。
関係性からの痛み
助けを求めることで損得や借りる返すなど発生する将来への関係性から発生する痛み。
上下関係や良好な関係性が崩れること恐れてしまい痛みになる。
公平性からの痛み
関係性に似ています。人は公平に扱われること敏感です。この公平に扱われるかどうか不安なのなり痛みになる。
つまり、人は人に助け頼みごとをすると、無意識にそれをすることで自分のステータスが下がると感じ、それが知識や能力不足と感じられたらどうしようになり、馬鹿にされたらどうしようになります。確実性もわからなくなり自律性をの不安を感じ、関係性の影響を想像してしまい、公平に扱わないないかも?
が助けや頼みごとをする際の痛みの正体。
自分も圧倒的な知識や能力不足なので、助けや頼みごとを求めないといけなくせに頼みごと下手です。まさにこれです。
だか、実際にこのような想像したようになるのか?これの想像は思い込みかもしれません。
実際に助けや頼みごとされた場合このように思いますか?そうじゃない場合が多いのでは。
人は助けや頼みごとをされると存在を認められた思いいい気分になり幸福を感じ相手に対して好意すら持つようなります。
仮に嫌な相手にでも当てはまります。
そもそも人は親戚でやさしく困っていたら助けるべきで、そういう人になりたいと思っており、なおかつ自分はそんな人間だと思っているからです。それに認知的不協和が働きます。自分感じたことやったことが辻褄が合わないとストレスを感じます。
例えば、人に親戚な行動をしてしまうと、行動してしまった手前、自分は相手に好意があったからとか悪い人ではないからなど辻褄を合わせます。ここで辻褄を合わせないと、好意がないのに、助けてたとなり、感じたことと行動が妙に噛み合わなくなるの避け自分を正当化して最終的には好意を持ちます。
それに自分が行動することで誰かが助け貢献する実感を感じるということ存在意味を感じ気分が良くなり、温かい気持ちにもなり幸福な感情になります。助けや頼みごとすることで相手になかなかのメリットを与えます。
助けや頼みごとは自分は助かり相手を幸せにすることになるということ。
相手に求める際の痛みは確かにあるかもしれないが、思っているような現実にはならないということです。
まぁよく考えると人から言われて1番嬉しい言葉はありがとうです。この言葉の為なら人は思いのほか行動すると思います。
求めた後に大切なのは、次求められたら次は助けないといけない。言葉で感謝を伝えるだけで終わりするのではなく、行動でも伝えなくては。