【事実より印象優先】
自分では事実話しているつもりでも、事実とは違うことを話していることはよくあるようです。
話す人や回数などで無意識に答える内容を編集や加工や削除や拡大やがされ事実と違うことが起きる。
話している本人は違うことを話している事実に気づいていない。
実際に研究までおこなわれている。
数年前、トヴァスキーとデューク大学のエリザベス大学のエリザベス・マーシュは、他人に話したおことの記録を数週間にわたり毎日つけるよう学生に依頼した。
記録の取り方は、事細かく話の要点のや話をした相手や話の目的。
話のどこをねじ曲げたのか何を付け加えたのか何を削ったのか誤って伝えいなかったのかを尋ねた。
二人が集計した結果では、談話のの58%までが報告のためで、話題は平均で2.7回は再話されいており、意外だったのが、歪曲の程度。学生は真実をねじ曲げたと認めたばかりか、予想された以上に歪めており、全談話の61%に情報の追加、省略、最小化をおこなっていた。
学生にどの程度おこなったかと尋ねると42%しか認めなかった。
学生はこの差の自覚がなく、偽った自覚がなかった。
そのうえ、学生は聞き手の好みに合わせただけでなく、さらに重要なことに自分の目的に合わせていた。たとえば単に情報を伝達するときには話を追加などせずに、最小化や重要なディテールを省いたりしがちだった。が、しかしそれが面白い話のときには、まったく逆に、大幅に追加したりディテールを加えてたりしていた、。
別の研究では被験者と初対面の相手との10分間の交流を録画し、あとでビデオを再生して、話したことのどの程度までが事実だったと被験者に尋ねた。そしたら被験者の60%が対話中に嘘をついたことを認めた。
人は人合わせて話しをして、単純であんまり関心がない場合は省きがちで、関心があり面白いと感じた話になれば、面白く聞こえるようにアップデートして話す。偽っている自覚もあるが、自覚して部分もあるとゆうこと。
雑談は事実を伝えることは二の次で、いかに自分が良く思われるや相手に何を考えさせて動きを起こさせるため。つまり印象が最優先されているかとゆうこと。
何がかんだで影響与えたく、カッコよく思われたく頭良く思われたく特別だと思われてたいんやな。
でも確かにこんな感じで会話しているとこはあるな。
例えば昔の話を面白くいい感じに話して少しでも賢いと思ってもらいたい場合は、当時は気づいてもないくせに、後から色々な経験して気づいたのにも関わらず当時から気づいてました感で話してしまうし、そんな感じでみんなも話しんだろうな。
目をつぶれる範囲以内では話を聞いてリアクションしあげるのも必要かもね。
自分もそうやってきっと聞いてもらっているんだろう。
参考にした本
「失敗の心理」科学する/しまった!
図書館で借りました。数ページペラペラしただけで面白かったので、本屋で注文して購入しようしましたが、出版社にもうないらしいです。
なかなか悔しい。欲しい。